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高校野球
設計積算部のYです。
私は子供のころからの高校野球ファンです。
春の大会夏の大会は必ず1回は、甲子園に足を運んでいましたが、この3年コロナで行けておりません。
なぜ甲子園へ行くのかと聞かれたら「一生懸命なプレー」「一生懸命な応援」を見ていると、自分の若い頃を思い出し、元気がもらえるような気がするからです。
今年の夏の大会は、大阪桐蔭の圧倒的な力で優勝するだろう予想していましたが、簡単に負けてしまいました。
1発勝負ということでこれも仕方がないですね。
なぜ大阪桐蔭が強いのか。
全国から素質のある選手を集め寮で共同生活をし、鍛えるからです。
当たり前といえば当たり前ですが、どこの私学も同じようなことをやっており、益々と公立高校の差が開いてきています。
公立高校が甲子園に出ることが難しくなっています。
私の出身中学校で1クラス上の野球部はなかなか強く、県大会で勝ち進み、近畿大会でも良い成績を出したことがありました。
2人優秀な選手がいて、大会が終わってすぐにPL学園、浪商高等学校からスカウトされ、1人はPL学園、もう1人は浪商高等学校へ進学。
PL学園へ進学した選手は、春の甲子園へ出て活躍しました。
その頃から私学が良い選手を集めるということに驚きました。
また中学校の1クラス下に上手な選手がおり、京都の平安高校へ進学しました。
甲子園でも活躍しかなり騒がれ、中日に入団までしたのですが、残念ながら大成しませんでした。
私の出身高校は昭和30年代は、県内でも割合強く常にベスト8に入る学校でした。
甲子園にも何度か出たことがあります。
私より大分先輩になるのですが、前岡という投手が甲子園で活躍し騒がれて阪神タイガースに入りました。
その選手が通っていた小学校での自主トレーニングを見学しにいった覚えがあります。
あと何人かプロ野球選手となった人もいます。
後輩で読売ジャイアンツへ入団し、一時はレギュラーになりかけた庄司という内野手もいました。
その後、阪神タイガースで活躍した、藪投手も同じ出身高校です。
私が1年生の頃、2クラス上の学年のチームがかなり強くて甲子園に出られるぐらいのレベルでした。
学校も後援会も力が入っていて、招待試合という形で京都の平安高校を招き、練習試合をしたこともあります。
その試合を見た驚きました。
キャッチャーのレベルが違いすぎたからです。
そのキャッチャーはのちに広島東洋カープに入った衣笠です。
プロ野球で成功する人は高校時代から全然違うもんです。
今でも覚えていますが、行動、姿勢に大人と子供ぐらいの差があります。
後々大きく花開く方は、やはり昔から地道に努力を続けていたのでしょう。