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人生の転機

人生の転機

こんにちは。

工事部のHです。

 

インターンシップで現場へ来る学生さんが自分の子供の年齢と同じになってしまいました。

少し前から、自分の子供と同じくらいな子が就職か、と思っていました。

自分も歳を取ったなと思います。

学生と話をしていると、自分の若い頃の記憶が少しずつ蘇ってきて、新鮮な気持ちになります。

 

早いもので、私が現場監督と言う仕事を始めてから26年が過ぎました。

こんなに長く続ける事が出来るとは思っていなかったのは正直なところです。

私は中途採用で森長工務店へ入社していますので、私の就職は前職の話です。

大学のゼミ室へたまに来るガラの悪そうな中堅ゼネコンの人に気に入られ、その会社へ就職しました。

入社前の新人研修が生駒山荘であり、1週間くらいの身支度をして、家を出たまま、しばらく家に帰れませんでした。

研修後の勤務地の発表は、自分の希望していた関西圏ではなく、千葉県の外房、九十九里浜の近くで、茂原と言う所でした。

あとで聞くと、だいたい最初は希望通りの勤務地になるが…

大学のゼミ室に来ていた人が「関東で経験を積んでこい」と言う、私に対する親心で千葉へ行かせたらしいです。

生駒山荘での研修後、新幹線で東京へ行き、東京の本社での入社式のあと、そのまま、千葉へ連れて行かれました。

現場の近くで借りた一軒家で、会社の上司、先輩との共同生活が始まりました。

1年以上その場所に住んでいたと思います。

まず親に今の自分の居場所を伝えないといけないと思った事を覚えています。

 

休みの日、一人になりたくて、自転車で行った九十九里浜。

 

それから大阪への転勤まで3年間、千葉、東京、神奈川、茨城を半年くらいのスパンで現場が変わり、転々としました。

 

親元を離れて、今まで親にしてもらっていた事の多さや、ありがたさ、自分自身の無能さを改めて感じました。

初めてもらった給料で、自分自身の移動の為の自転車と、両親や兄に安い時計を買って、送ったことを覚えています。

自分自身を応援して送り出してくれた人達を裏切る事は絶対に出来ないと思い、毎日必死で、動き回っていた事を思い出します。

それから、転勤、会社の倒産、転職、結婚、子供の誕生、後輩指導の成功と失敗等、人生の転機はたくさんありました。

全ての出来事は、私にとって、とてもいい経験で、辛く苦しい事も多くありましたが、嬉しい事もたくさんありました。

私に関わってくれた人達には、本当に感謝しています。

 

現場監督と言う仕事は自分にとって天職と思えるくらい、誇りを持ち、新しい知識の発見に充実した毎日を過ごしています。

いつか自分に時間が出来れば、今まで自分が携わった現場を順番に見て廻りたいと思っています。

今、就職活動をしている人達も、どんな会社に入っても、どんな仕事をしても10年後20年後、充実した日々を送っていてほしいなと思います。