その他
ふりかえり
こんにちは。
設計積算部のYです。
建築に興味を持ったのが、中学1年の時です。
校舎が木造2階建てから鉄筋4階建てにする建て替え工事で、何もない更地 から、1年ぐらいの工事でした。
当時は、あまり機械化が進んでおらず多くの人が働いているのを興味深く見ていました。
鉄筋コンクリートの耐用年数が100年といわれいたので、自分が生きている間はもちろん、死んだ後でも残るすごい事をやっているんだ思いました。
それで将来この仕事に就きたいと思い、高校は建築科に進みました。
昭和42年に卒業して大阪に出てきました。
戦後22年ぐらいですから、日本全体はまだ貧しく、社会全体も荒荒しい気風が残っておりました。
職人さんも自分の都合第1でトラブルも多く、調整に大変苦労したことを覚えています。
入社して3年目に、本社近くにある生江小学校の体育館の工事を受注し、お前が行ってこいと言われました。
図面が少し読めて、施工図も少し書ける程度でしたが大阪市の方に教えてもらいながら完成しました。
同時期に旭区役所の工事が始まり、大阪市の方が両方見ていたのでたまに現場を見せてもらい、こんな仕事ができるようになれるのか、いつかこのような仕事をやりたいと思いながら、大阪市の市営住宅の工事をいくつもやらせて頂きました。
時は経ち、一番最初に担当した生江小学校、高殿住宅、現在工事をしている赤川住宅、城北公園通りの生江住宅(2棟)が解体されました。
30年から50年の間に自分が施工した建物が5棟もなくなり、寂しい思いと共に、当時のことを思い返して懐かしく思っております。
好きな仕事をできる喜びをかみしめながら、いつまでも元気で生きていきたいと思っています。