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アナログ
こんにちは、設計積算部のKです。
鉢植えで、実のなる木を育てています。
といってもどれも実がなりません。
唯一今年は5つびわの実が成りました。
来年は実が成るのでしょうか?
文庫本は、電子書籍より面倒くさいです。
ざらざらした薄いページを指先でめくります。
二枚一緒にめくってしまったり、勢いよくめくると破れたりすることもあります。
ページをめくる動作や見にくい小さな文字とも闘わねばなりません。
ですが、文庫本ならではのそんな手間が、ある意味読み急ぐ自分を抑えてくれているようにも思います。
多くの時間や手間を費やすことで、より一層空想が広がったり、本の一層深いところに入っていけるようにも感じるのです。
最近、手元にレコードプレーヤーがやってきました。
レコード面に直接触れないように、盤を両手で挟むようにしてプレーヤーまで運びます。
そっとレコード針を盤のスタート位置付近めがけてセットしゆっくり針を落とします。
あまり端っこ過ぎると盤から針が落ちてしまいます。
レコード、レコードを入れる半透明の袋、それが収納されているジャケット、二つ折りの歌詞が印刷されたジャケット大の紙、それらを丸ごと収納する販売店の名前が入った透明の厚いビニール袋。
今見るととっても大げさです。
取り出す以上に、収納はより難易度が上がります。
ですが、聞く前と聞いた後の時間までが必要なレコードで音楽を聴く動作は、聞く覚悟と聞いてからの余韻の時間を用意してくれているのかもしれません。
40年近く前のレコードからは、当時、自分が見ていた映像が蘇ります。
そしてその時の空気感まで伴います。
音楽を聴くことに、自分の時間をしっかり使ったから体に染みついているのかもしれません。
今は音楽媒体に形がありません。
データとしていつでもどこからでもいろんな順序で取り出せます。
スマートフォンでは、片手間で気軽に調べる事が出来ます。
反面頭の中に残らず、また同じことを検索している自分がいます。
時間をかけずに、最短距離を走ることが美徳のような時代です。
それが自分の為になる行いか、どうなんでしょう?
バタくさく、時間が掛かったとしても、あえて手間をかけるべきこともあるのではないでしょうか。
面倒くさい事に時間を割くというより、そんな時間を作ることが大切なように思います。
最近、色んな物事が億劫になってきました。
あえてひとつの事にじっくりと時間を使うようにしなくては、と思っています。
レコードで音楽を聴く時間が楽しみである自分が、未来にいることを信じたいと思います。