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日本の100名城~山中城~
皆様、こんにちは、営業部のKです。
新型コロナによる緊急事態宣言も解除され、外出する機会も多くなったと思われます。
私自身も緊急事態宣言下では自宅に籠りっきりで運動不足が続いておりましたが、7月からはお城めぐりを再開しました。
令和という新しい年号になったことを契機に、「100お城めぐり」を計画しました。
毎月1城を目標に、目指せ、100城!!
なんと、8年4か月の長丁場・・・・・・。
ということで、まずは関西圏からと、姫路城・大阪城・大和郡山城・彦根城・岸和田城・竹田城等の10城を制覇しました。
天守閣の美・雄大さ・景色等々の素晴らしさと戦国時代などの歴史を体感できました。
その中で、今年3月の箱根旅行中に訪れた静岡県三島市の山中城に感動!!
山中城は、戦国時代末期の永禄年間に、小田原に本城をおいた北条氏が築城しました。
その後豊臣秀吉と不仲となった北条氏政は、小田原攻めに備えて、急遽、堀や岱崎出丸(だいざきでまる)等の整備を行いました。
堀は、石を使わない、非常に珍しいものです。
空堀の堀底に土手を堀り、防御の仕掛けとしています。
これらは畝堀や障子堀※と呼ばれています。
現在は、保護のために芝が張られており、構造が一目でわかる上に美しさも兼ね備えており、感動しました。
さらに背後には「マウント・富士」が描き出されます。
素晴らしい景色でした・・・・・・。
また、有名な城でなかったせいか(私自身もたまたま訪れたのですが)、観光客も非常に少なく、癒しの時間を満喫できました。
そのまま何時間でもその場に留まりたい気分でした。
是非、三島方面へ旅行される方は、観光リストに入れることをお勧めします。
今後も新しい感動を求め、100城めぐりの完遂を目指して行きます。
※畝堀(うねぼり)とは
空堀の堀底の一部をさらに掘り下げ、畑の畝のように見えることが名前の由来です。
敵が攻め込むためには、畝の部分を歩く必要があります。
しかし、畝の部分は狭くなっており、進むためには一列にならざるを得ません。
守備側はそこを集中して守ることで、効率的な防御が可能となりました。
※障子堀(しょうじぼり)とは
畝堀と同じような構造ですが、空堀の堀底に掘った土手が障子の桟のように見えるところから呼ばれています。
畝の経路が複雑なので、動きが制限されるため、攻め手にとって非常に攻めにくい形状になっています。