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高倉健 ストーリー~パート1~
こんにちは、お客様センターのKです。
今回は、俳優の高倉健さんについて書かせて頂きます。
1931年2月16日に生まれ、2014年11月19日に亡くなられました。
83歳でした。
福岡県中間市出身で、本名は小田剛一さんです。
映画の出演作品は、初期は網走番外地などの任侠映画が多かったのですが、その後は八甲田山・幸せの黄色いハンカチ・野生の証明・ブラックレイン・鉄道員(ぽっぽや)・南極物語・海峡など数多くのヒット作品に出演されています。
私は高倉健さんの野性の証明を鑑賞した時に、迫力のあるすごい演技に感動してファンになりました。
高倉健さんは、共演者・スタッフさんへの気配りと、感謝の気持ちがすごく強い方でした。
ロケ地でのエピソードで、映画の撮影中・休憩時間でもスタッフさんが進めても、絶対に椅子に座らなかったそうです。
共演者・スタッフさんが一生懸命に仕事をされている姿を見て、同じ立場になって行動をされていたのだと思います。
お世話になった方、共演してくれた方に、感謝して誕生日・記念日に、贈り物を何年も続けていたそうです、
気配りのすごい方だと改めて感じました。
高倉健さんが、刑務所に慰問で講演に行かれた時、受刑者さんが講演を聞いて、涙を流されたこともあったそうです。
健さんのやさしさと思いが届いたのだと思います。
静かな男のイメージですが、意外とおしゃべり好きでユーモアを解する方だったそうで、志村けんさんのファンでもあったようです。
コント役でやっている寿司屋のおじさんの役が好きで、時々その真似をする事もあったそうです。
映画「鉄道員」では、志村けんさんは、高倉健さんから出演のオファーを受けたということです。
一緒に映画に出演し、こんな夢のような話はないと、志村さんは喜んだそうです。
志村さんがメインのロケ地となる北海道へ向かう前日、高倉健さんから留守番電話が入っていたと言います。
内容は、「弟子入り志願の高倉健ですけど、こちら寒いですから明日は気を付けて来て下さい」というメッセージだったそうです。
映画初出演の志村さんは大変緊張していたそうですが、高倉さんのこの一言のメッセージで緊張感がほぐれ、優しい気づかいに感動されたそうです。
高倉健さんは、1998年に紫綬褒章、2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受賞しています。
文化勲章を受章した時に、「悪役が多かった私が受賞出来た事は、一生懸命にやっていたら、見てくれている人がいるんだなと思い、役者をやって来て良かった」とコメントされ喜んでおられました。
~パート2~に続く