社長ブログ

お互いさま

お互いさま

 


あなた方の中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい

(ヨハネによる福音書 8章 「姦淫の女とイエス」)


 

イエスを試し、訴える口実を得るために、ユダヤ教のファリサイ派の人たちが、姦淫の罪を犯したという女を連れて、イエスのもとにやってきました。

彼らはモーゼの律法にしたがって、女を石で撃ち殺そうというのです。

そして、彼らは「あなたはどうお考えになりますか」とイエスに問います。

これはイエスを敵視するファリサイ派の罠でした。

石で撃つことに同意すれば、民衆の信望はイエスを離れます。

また、同意しなければ律法に反した廉で訴えることが出来るのです。

その問いに対するイエスの答えは冒頭に示した通りです。

結果、彼らも自らの罪を省みたのでしょう、一人また一人とその場を立ち去って、女は救われたのです。

 

最近SNS上で自分が見えないことを良いことに、人を非難中傷する風潮が強くなっています。

女子プロレスラーの木村花さんの自殺などは、その典型でしょう。

今の日本人の人間性の低さが見えるようで、とても嫌な気持ちになりますし、このような心の荒みがSNSを媒介にして、伝染していくのではないかと危惧を抱きます。

 

当社の理念(3)には、「社員の社会性と人間性を育む会社」と定めています。

ここで言う「社会性」とは自分が生かされていることを認識して感謝することであり、「人間性」とは自分の不完全性を自覚して、人の不完全さを受け容れることです。

「お蔭さま」と感謝できる人は、「お互いさま」と人を思い遣る心を持てるという意味で、社会性と人間性は表裏一体だと思うのです。

 

「お互いさま」と、人を思い遣れるためには、自分の不完全さの自覚が必要になります。

つまり自己の不完全さへの内省があってこそ、謙虚になることができ、自他の間に共感が生まれるのです。

みんなが自分の不平不満の原因を、人に求めるだけで、自分を変えようとしなければ、その集団は決していい集団にはなりえません。

人を変えようとするのではなく、一人ひとりが自分自身の不完全さを克服する方向に向かって努力してこそ、みんながそこに自分の居場所を見出すことが出来き、集団として成長できるのです。

そして、そこに生まれる共感こそが人の結びつきを強固にし、集団が強くなっていくのだと思います。

 

人は一人で生きることはできません。

集団の中でしか生きられません。

また、誰かがその集団の中に自分の居場所を用意してくれるわけでもありません。

一人一人が力を合わせて、自分の居場所となる集団をつくっていくしかないのです。

そのためにも、自分の不完全性を自覚して、「お互いさま」を育んでいかねばなりません。