社長ブログ

森信三語録(一)

森信三語録(一)

私が大きな影響を受けた人は、幾人かの人を上げることが出来ますが、その中で書物を通じてということになれば、森信三先生がその筆頭ということになります。

役員室に先生の写真を額に入れて架けているのは、その存在を常に心中に留めて、何かにつけて判断の拠り所にさせていただくためです。

残念ながら、私が先生の存在を知った二十数年前には、既に先生は他界されておられましたから、直接お目にかかることは出来なかったのですが、その書物を通じて私は人生や仕事についての考え方をつくってきたように思います。

ですから先生との邂逅がなければ、今の私はないし、今の森長工務店もなかったと言ってもよいのです。

 

森信三先生は明治二十九年に生まれ、平成四年に九十七才で亡くなられました。

二才で両親が離婚し里子に出されたことに始まり、苦労に苦労を重ねられた生涯を過ごされました。

先生は苦学して京都大学大学院哲学科を、明治以降の大哲学者西田幾多郎の門下生として、最優秀の成績で卒業されました。

しかし、当時の西洋哲学を紹介し解釈するだけのアカデミズムになじめず、「人生いかに生くべきか」を探求する在野の哲学者として歩みを進められたのです。

そうした実人生に即した哲学であるからこそ、私のような中小企業経営者にとっても、様々な場面に活かせる学びをいただけたのです。

 

先生は七十才で「森信三全集」(全二十五巻)を、八十九才で「続森信三全集」(全八巻)を、そして九十二才で「森信三講演集」を刊行されています。

病魔に侵され手が不自由な中でも著作を続けられた結果であります。

まさに自己の使命・志が堅固不動でなければ、このような業績は決して残せないであろうと思います。

 

森先生は次のように仰られています。

 

人間はおっくうがる心を刻々に切り捨てねばならぬ。
そして齢をとるほどそれが凄まじくならねばならぬ。

 

私も体力・気力の衰えを感じる年齢になり、ついつい自分に甘くなりそうなときもあります。

しかし、先生が最晩年に至るまで決して仕事の手を抜かれなかったことを思い起こし、自分に鞭打つために、このことばを座右のものとしています。

 

人が自分の目指すものの実現のために、常に緊張して過ごすことはたいへん難しいものです。

ともすれば、おっくうがる心に負けて今日できることを明日に延ばし、明後日に延ばし、さらには目指したものさえ見失ってしまったりします。

そして、状況が厳しさを増せば増すほど、おっくうがる心は強くなり、厳しさに立ち向かう勇気は萎えてきます。

 

私の場合は、そんな自分を支えるためにことばが必要でした。

そして、そのことばを探すために読書に精を出しました。

苦しい時ほど、真剣に読書し、時には藁にもすがる思いで書物に向き合いました。

その中で、私は森信三先生のことばに最も大きな救いを見出したのです。

 

来月からしばらくの間、このメッセージでは森信三哲学を語りたいと思います。

私の心に響いたことばを採り上げ解釈を加えて、私なりの森信三語録をつくっていくつもりです。

それが皆さんのこれからの人生の指針になれば、これほど嬉しいことはありません。