社長ブログ

森信三語録(三)

森信三語録(三)

使命について

 

全体との無限連関の理明らかになりて初めて「分」の自覚を生ず。

世の中は総て受け持ちなりと知るべし。

受け持ちとは「分」の謂いにして、これも悟りの一内容なり。    
(森信三「下学雑話」)

 

私たちが日頃の生活で使っているもののほとんどすべてが、人の仕事によって作られています。

呼吸している空気でさえも、空調を通しているのなら、人の働きによって作り出されたものです。

私たちの生活は人のお世話にならなければ成り立たないのです。

また、祖先を二十代遡るとその数は二百万人になり、それだけの人たちが命をつないでくれたお陰で、今ここに私たちは生きています。

 

こう考えただけでも分かるのは、自分は自分の力でここに生きているのではなく、今現在の支え合いの広がりの中でも、そして親から子、子から孫への時間の経過の中でも、自分以外の多くのものによって生かされている存在だということです。

こうしたことを森信三先生は「無限連関の理」と表現されているのです。

 

同じことを別の立場から、生物学者の福岡伸一さんが次のように書いておられます。

 

この世界のあらゆる要素は、互いに関連し、すべてが一対多の関係で繋がりあっている。

つまり世界にも、身体にも本来、部分はない。

部分と呼び、部分として切り出せるものもない。

世界のあらゆる因子は、互いに他を律し、あるいは相補している。
(福岡伸一「動的平衡」)

 

生物学というサイエンスの立場から言っても、この世界で部分として独立しているものは一つとして無く、あらゆるものが「互いに他を律し、あるいは相補して」無限連関しているのです。

それぞれに「受け持ち」があり、その「受け持ち」を果たすことでこの世界は成り立っており、皆で互いに生かされながら生きているのです。

 

「『受け持ち』とは『分』の謂い」であり、『分』とは責任・使命のことです。

森信三先生が冒頭のことばで仰りたいことは、全体によって生かされていることを理解できれば、自ずから自分の責任・使命が自覚されるということです。

人が良く生きるとは、自分の責任・使命を果たすことであり、その時にこそ感謝と貢献感を得ることができ、充実した人生が送れるということです。

 

自由といえば、周りとの関係(役割)から解放されることだと思っている人もいるかもしれません。

しかし、人は周りとの支え合いのないところで生きることはできません。

だから、そんな自由は幻想にすぎないし、自分の役割から逃げたいだけではないでしょうか。

本当の自由とは、自分の役割を責任・使命だと前向きに捉えたときにのみ生まれてくるものだと思います。

 

人はともすると、自分に囚われ眼が内に向いて、全体との関係性を見失ってしまうものです。

その結果、不平と不満で一杯になり、感謝と貢献感から遠ざかってしまう。

そして虚無感に嵌ってしまうのです。

そうならないためには、眼を外に向けて周囲との関係性を見失わないことが、何よりも必要なのです。

 

当社の「全体の中での自分の役割を認識し、自立し主体的な人間になろう」は、冒頭の森信三先生のことばに触発されて、「心と行動の指針」に入れたものです。

全体を認識し自分の役割を責任・使命だと自覚することによって、自立と主体性を獲得し、自分の人生の主人公として生きなければならない。

そんな思いを込めて作ったものなのです。

自分を拘束していると思っていたものが、実は自分に価値を与えるものだと理解した時、本当に充実した人生が訪れるのです。