社長ブログ
生きる力
もう十年程になるでしょうか。文部省が「『生きる力』を育む」ことを教育の基本方針で力説していたことがあります。
しかし、『生きる力』とは何か、そしてその『生きる力』を育むために何が必要かについては判然としませんでした。
私には文部省の官僚たちが、言葉を弄んで、観念的な言葉を独り歩きさせているように思えたものでした。
しかし、確かに今の私たちの世代と私たちの親の世代と比べた時、この『生きる力』が衰えてきているのは確かなように思えます。
私自身、亡くなった会長と比べてみると、業績への執着心をあれほど強烈に持ち得ていないように思います。
会長と議論をして「そこまで言うか」と驚かされることはしばしばありました。
その度に願望の強さにおいては、良きにつけ悪しきにつけ、とても敵わないと思い知らされたものでした。
私たちの親世代の若い頃は、戦争による荒廃の中で、あらゆるものが欠乏していました。
その欠乏が豊かさに対する強い渇望を生んだのでしょう。
会長が亡くなる前に「自分の人生に満足している」と話してくれたのは、裸一貫から身を起こし、曲がりなりにも地域で有数の会社を育てることができたこと。
そして、若かりし頃の願望を実現できたという満足感であったと思います。
欠乏から来る強い願望が『生きる力』となって、自分の能力を存分に発揮できたという結果を生んだのだと思います。
豊かな時代に育ち、物質的な欠乏を経験していない私たちが、彼らと同じ願望を持って、それを『生きる力』に変えるというのはどだい無理なことだと思います。
しかし、「かくありたい」という願望が、人生に充実をもたらすということは真理であり、私たちがどのような願望をどのように育てるかは大きな問題なのだと思います。
その願望は単なる「こうなればいいな」程度の希望ではなく、潜在意識に透徹して常に念頭から離れないほどの願望でなければなりません。
そうした状態に近づけば近づくほど、『生きる力』が強くなっていくのだと思います。
森信三先生は次のように言っておられます。
念々死を覚悟して初めて真の生となる
これから私たちが『生きる力』を全開にして、充実した人生を歩んでいくためには、二度とない人生を賭けるに値する夢を見ることだと思います。
どんな苦労をしても実現したい夢を見ることができれば、それこそ悔いのない人生になることでしょう。
そして、一人ひとりが夢を追うためには、会社としても夢を追っていなければなりません。
社員の夢を集めると会社の夢となる。会社の夢を叶えるためには、社員の夢を叶えなければならない。
そのためにも、これまでの会社の歴史を踏まえつつ、新たなビジョンを創っていかねばなりません。
社員みんなが夢を追いかけ、『生きる力』を全開にしている会社が発展しない筈がありません。
そうした会社こそが社員一人ひとりの自己実現を可能にするのです。