社長ブログ
土俵の真ん中で相撲をとる
「土俵の真ん中で相撲をとる」とは、常に土俵の真ん中を土俵際だと思って、一歩も引けないという気持ちで仕事にあたるということです。(稲盛和夫「京セラフィロソフィ」)
私は本当に憶病な人間で、どんなに状況が良くても決して安心するということがありませんでした。
経営者の中には、赤字続きで資金繰りに汲々としているのに、毎週のようにゴルフに興じたり、夜ごとに北新地で遊んでいたりする人がいます。
そんな人を見ていると、その度胸の良さにある意味感心したりしたものです。
しかし、羨ましく思った度胸満点の人たちが、長い年月を経るうちに、いつの間にか姿を消してしまったのも事実です。
私は自分の心配性を情けなく思うこともありましたが、最近は心配性だからこれまで何とかやって来れたと思うようになりました。
私も社長になって今年で二十年になります。
その間、今いくら仕事があって利益が上がっていようと、来年はどうなるか分からない、そんな不安をいつも抱えて過ごしてきたように思います。
我ながら損な性分に生まれたものだと思いますが、今になって私の心配性は決して無用なものではなかったと思うようになりました。
何故なら、今の森長工務店の在り方は、私の心配性を少しでも軽いものにするために形作られてきたとも言えるからです。
稲盛さんを例にするのは少々気が引けますが、稲盛さんの事業の伸ばし方も同じようなところがあります。
一つの商品がヒットしても、その後が心配で次の商品を作る。その次の商品の先行きも心配で、別の事業を作る。
その事業の先行きも心配で次の事業を作る。そうして事業全体の底辺を広げ、京セラを押しも押されぬ存在にしていったのです。
そうした事業展開も、追い込まれてからしたのでは、成功の確率は少なくなりますが、余裕のある間に先行きを心配して手を打てば成功の確率は大きくなるのです。
工事を例にとっても、契約工期に間に合わせればいいと考えて工事を進めていたのでは、何か不測の事態が起きた時には、ただただ狼狽するばかりで工期を守れないということになってしまいます。
何があるか分からないという心配を持って、まだ余裕のあるうちに工夫を重ねることで、工期を厳守する体制ができるのです。
早いうちから自分で自分にプレッシャーをかけることで、工期を短縮するための工夫を凝らす努力につながるのです。
世の中は何が起きても不思議ではありません。
自分が立っていた盤石の大地が実は薄氷だったということは、長い人生の中では大抵の人が経験することです。
仕事はその最たるものです。
先に何が起きるか分からないという気持ちで取り組むことで、緊張とモチベーションが生まれるのです。
いずれやらねばならないことなら、余裕のあるうちに済ませて万一に備えようと思うから万全を期することができるのです。
心配をただの心配で終わらせることなく、緊張とモチベーションに変えること。そして、確実に仕事を進めていくことが大事なのです。
これが「土俵の真ん中で相撲をとる」ことの本質なのです。