社長ブログ
森信三語録(十三)
幸福とは与えられるもの
人間の生涯を通じて実現せられる価値は、その人が人生における自分の使命の意義を、いかほど深く自覚して生きるか否かに比例する
(森信三「修身教授録」)
三人の石工の話は、これまでも何度かお話してきました。
旅人に「何をしているのか」と問われた最初の石工は、「石を積んでいる」と答えます。
二人目の石工は、同じ質問に「教会をつくるために石を積んでいる」と答えます。
三人目の石工は「町の人々の心の拠りどころとなる教会の石を積んでいる」と答えます。
この三人のうち、一番いい仕事をし、一番仕事に生きがいを感じているのは誰か。
その答えは明らかでしょう。
一人目の石工は、日当をもらうことだけが仕事をする目的です。
したがって、できるだけ楽に働き多くの日当が欲しいだけで、いい仕事をしようというモチベーションはほとんどありません。
残念なことに、今の世の中にはこんな人がとても増えているように思います。
それに対して、三人目の石工は、町の人たちのために少しでも堅牢な教会になるように、しっかりと石を積むことでしょう。
また、きれいに見えるように形を整えて積むに違いありません。
そして、そのための工夫をすること自体に喜びを感じているはずです。
このように仕事の価値を深く捉えられる人ほど、仕事において高い価値を実現することができるのです。
それでは、我々の仕事の価値を最大限にするものは誰か。
それはお客様なのです。
我々は二十四時間、三百六十五日建築に携わっていますから、ともすれば日常性の中に自分の仕事の価値を見失ってしまうこともあります。
しかし、お客様にとっては、生涯たった一度の住宅の建設であったり、会社の将来をかけた工場建設であったりするのです。
それ故、我々の仕事の価値はお客様において最大化するのです。
だからこそ我々は顧客本位の立場に立って仕事に取り組まねばならないのです。
それが自分の仕事の価値を高め、ひいては自分の価値そのものを高めることになるのです。
それが生き甲斐のある人生にするためにとるべき道なのです。
また、我々が石積みの仕事を依頼するとしたら、先に述べた三人の石工のうち、誰に頼むでしょうか。
もちろん三人目の石工でしょう。
三人目の石工には、ひっきりなしに注文が舞い込むことでしょう。
それに対して、一番目の石工にはよほど石工が不足しているときにしか仕事は来ないでしょう。
不思議なことに金のためだけに仕事をしている人には仕事が来ない。
それ故、肝心の金も儲からないようになっているのです。
森信三先生は次のようにも仰られています。
幸福とは求めるものではなくて、与えられるもの。
自己の為すべきことをした人に対し、天からこの世において与えられるものである
(森信三「修身教授録」)
一番目の石工のように楽に幸福になりたいと思っている人には、幸福は近づいては来ないのです。
三番目の石工のように、自分の仕事や人生の価値を自覚して、為すべきことに真摯に取り組む人に、幸福は与えられるものなのです。