社長ブログ
森信三語録(十六)
人を育てる
教育とは流水に文字を書くような果ない業である。
だがそれを岩壁に刻むがごとき真剣さで取り組まねばならぬ。
(森信三「一日一語」)
人を理屈によって変えようとしても変えられるものではありません。
これは子育てにおいても、部下の教育においても経験することです。
ノウハウやテクニックは理屈で教えることができても、教育において最も重要な人生や仕事に対する姿勢は、理屈では育てることができないのです。
それ故、「教育とは流水に文字を書くような果かない業」なのです。
それでは、どうすれば人を育てることができるのでしょうか。
それには、まずはど真剣に子供や部下と向き合うこと。
まさに「岩壁に刻むがごとき真剣さ」で向き合うことが必要なのです。
人を育てることが口先三寸で出来るほど簡単なことでないことは、自分のことを振り返ってみれば、容易に理解できるだろうと思います。
子供や部下と真剣に向き合うことで、ボールが壁に跳ね返ってくるように自分の成長につながり、その成長の波紋が子供や部下に広がっていくのだろうと思います。
即ち、子供や部下の教育は、自分を育てることによって成就するといえるのではないでしょうか。
人間も、金についての親の苦労が分かりかけて、初めて稚気を脱する。
随ってそれまでは結局、幼稚園の延長に過ぎぬともいえる。
(森信三「一日一語」)
「幼稚園の延長に過ぎぬ」とは、かなり強い表現ですが、子供を育てるために親がどれほど金銭的な苦労をしたかが分からぬようでは、自分の人生の成り立ちが幼稚園児程度にしか分かっていないと、森先生は仰っておられるのです。
経済は人間が生活を営む上では、絶対不可欠であり、親の子育てに関する苦労の過半は、経済の問題だとさえ言えるかもしれません。
親は自分が楽しむためのお金を節約し、子供の養育費や教育費をねん出して子供を育てる。
自分の金の苦労しか分からず、そんな親の苦労の察しがつかないようでは、人生や世間の何たるかが分かるはずがありません。
また、それが分からぬ人は、人のお役に立つこともできないでしょう。
同様に、私たちが請け負わせていただいている建築の資金準備に、お客様がどれだけご苦労されてきたかが察せられぬようでは、そのご苦労にお応えしようとする気持ちが十分に湧くはずもありません。
私たちは受けたと自覚する恩の重みに応じて、その恩に報いようとするエネルギーが湧いてくるのですから、その重みを感じなければ報恩もあり得ず、自分の仕事の意味を自覚することも、またその喜びを感じることもできないでしょう。
それ故、その人が持てる能力を最大限に発揮できるようになるためには、その人がどれだけ多くの人に支えられているか、どれだけ重い恩を被っているかを自覚せしめることが、教育における最も大事なことであろうと思います。