社長ブログ
組織は無をもって理想とする
「組織は無をもって理想とする」とは、出光興産の創業者出光佐三の言葉です。この言葉の説明として、佐三は次のように述べています。
「日本人にとって組織は形式的なものに過ぎないのであって、お互いが心でつなぎ合っている、それが日本の『和』の姿である。」
「出光の行き方は各個人が完成してさらに団結するところに意味がある。いかに個人が強くとも烏合の衆であってはならない。また各個人が軋轢するようであれば各個人が強いほど軋轢が強くなる。‥‥‥ゆえに無私、団結なくして出光は存立しない。団結こそ出光の最後の結晶である。団結心なき人々には団結するようにこれを教育しなければならない。」
出光興産創業の当時から石油は配給制になっており、政府と癒着した先発の石油業者が縄張りを分け合っており、消費者は不当に価格の引き上げられた石油を買わざる得ないような状況でした。
創業間もない出光佐三は義憤に駆られて圧倒的な敵を相手に戦いを挑んだのです。
そんな出光佐三の武器となったのが、先に引用した「無私」と「団結」だったのです。
その一例が陸軍が太平洋戦争の緒戦で占領した南方での石油配給機構です。
業界側の提案は、二五〇〇人の人員を要するものでしたが、出光の提案はその一割以下の百数十人で行うというものでした。
その結果、出光はその人数でもってこの任務を実際に完遂したのでした。
目的・目標を意識しない官僚的な組織では、組織にすがって人間を動かそうとし、人間が本来持っている能力を自由に発揮させない弊を生んでいたのです。
それに対して、出光は目的・目標を目指して全体の中での自分の役割を自覚した人間が、闊達に動ける組織であったが故に、このようなことが可能となったのです。
組織をいかに緻密に作ろうとも、どの部門にも帰属しない予測不可能な出来事が生じるものです。
そして緻密であればあるほど、組織を取り巻く状況に変化があると、担当部門のない仕事が発生してきます。
その結果、部門間の仕事の押し付け合いや、あるいは取り合いが起きて、組織の軋轢が高まるのです。
その軋轢に対処するためにまた新たな部門を設けることになり、組織は肥大化し生産性は著しく落ちていくのです。
しかも、この肥大化に組織内部の人たちは全くもって気付かないということになりがちなのです。
確かに組織は必要なものですが、それは多岐にわたる仕事に対応するための方便であって、万能ではありません。
それ故、組織に頼って問題を解決しようとすればするほど、部門間の調整に手間取るばかりで一向に問題は解決しないという構図が出来上がってしまいます。
行政や多くの大企業の生産性が上がらないのはこれが原因なのです。
こうしたことに根本的な解決を与えるのは、出光の掲げた「無私」と「団結」なのです。
全社員が組織の目的・目標を帯して、自分の役割を自覚する。
そのことによって全社員が適切な判断を行い、的確な行動を取る。
さらに大事なことは、そうした風土の下では各自が自分の意志で仕事をしているということです。
「働かされている」のではなく、主体的に「働いている」のです。
それ故に飛躍的に生産性が上がり、陸軍の配給機構の十分の一以下の人数で、目的を達成するということができてしまうのです。
行政や大企業の優秀な人達も、このようなことには気付いていると思うのですが、組織の中に「無私」や「団結」を育てるのはとても手間がかかりますから、組織に頼って手っ取り早く物事を片付けようとするのでしょう。
しかし、「手を抜いたら手がかかる」のです。
本当に強い組織を作ろうとするのなら、手間暇をかけなければならないのです。
そうでなければ、人間が使うべき組織に人間が使われるという悲劇を生んでしまうことになりかねません。
良い集団を作るためには、まずは「無私」な人間を育て、「団結」の風土を根付かせていかねばならないのです。