社長ブログ
手を抜いたら手がかかる
「手を抜いたら手がかかる」
は当社のキャッチフレーズですが、このポスターや印刷を見て、お客様や取引先から「その通りですね」としみじみ言っていただくことが度々あります。
これは棟方志功と一緒に活動されていた倉吉の版画家長谷川無弟先生から許可を頂いて使い始めたものです。
NHK教育テレビの「こころの時代」の記事の中に、その時の経緯を長谷川先生ご自身が、テレビ番組の中で語っておられたのを見つけました。
ご自分の作品の一つ一つを番組の中で解説される中で、次のように説明されています。
長谷川: これは鬼なんですね、これは字が出てきますが、
手を抜いたら手がかかる
これも母がよういいおりました。
「手を抜いたら手がかかるけな」なんていうてね、いいおった。
ところが大阪のある会社の方が、「これをポスターにしたい」とおっしゃるんで、
「どうぞ、どうぞ」というたところが、「これをポスターにしてからえらい成績があがりました」いうてね。
勿体ない。
それは受け取り方ですからね。
受け取り方の名人がおったんだなあ、ということを非常に喜んでおります。
ここに出てくる「大阪のある会社」とは当社のことです。
「手を抜いたら手がかかる」という言葉自身は、よく使われる言葉で、言葉だけを聞いていてもそれほど深い感興が湧いてくるわけではありません。
しかし、長谷川先生の赤鬼を挟んだ「手を抜いたら手がかかる」は、心に迫って「その通りだ」と見た人を感じ入らせるのです。
これまでそれが不思議でならなかったのですが、この教育テレビの記事を読んでその理由が分かったように思いました。
先生は一小学校教師に過ぎませんでしたが、認められて棟方志功を始め河井寛次郎、浜田庄司といった日本を代表する芸術家たちに師事するようになります。
その人たちから強く教えられたのは
「テクニックじゃないんだ。腕で作るんじゃないんだ。人間そのものが作るんだ」
ということであり、人間を磨かない限りいい作品は作りえないということだったといいます。
そして、それらの芸術家たちはみんな信仰に篤い人たちでしたが、長谷川先生の作品にも、宗教的な色彩は色濃く表れていて、作品を見ているととても穏やかな気持ちになるのは、そこから来ているのだろうと思います。
それ故、長谷川先生の「手を抜いたら手がかかる」は、単に手抜きを戒めるだけではなく、もっと深いものがあるように思うのです。
それは、手を抜いたら仕事の上で支障が生じるというに止まらず、自分自身の心持にもダメージがあると言っておられるように思います。
手抜きをした仕事には愛着が湧きません。
愛着の湧かない仕事を続けていると、心が荒んできます。
その荒みが自尊感情を損ない、自分に価値を感じられなくしてしまうのです。
そんなふうに楽をしようという自分の行いは、自分に戻ってくるのです。
手を抜いて自分の心を荒ませてなりません。
仮に結果が出なくても全力を尽くした仕事は、心に荒みをつくることはありません。
全力を尽くしたという事実は、必ず次に活かされ心の糧になって人間を磨き、いつかその人の仕事に反映される日がやって来るはずなのです。
長谷川先生の「手を抜いたら手がかかる」の版画には、そんな意味が込められているからこそ、人の心を打つのではないでしょうか。