社長ブログ

森信三語録(十九)

森信三語録(十九)

誠について

 

誠に至るのは、何よりもまず自分の仕事に全力を挙げて打ちこむということです。

すなわち全身心を提げて、それに投入する以外にはないでしょう。

かくして誠とは、畢竟するに「己を尽くす」という一事に極まるとも言えるわけです。

(森信三「修身教授録」)

 

以前ある現場で若手社員から、彼が書いた週間工程表を見せてもらったことがあります。

その週間工程表は真っ赤になるほど訂正が入ったものでした。

彼が夜遅くまでかかって書いた工程表を、所長に送ったところ、その日のうちに送り返されてきたのが、この工程表だったと言います。

よくぞここまで訂正が入るものだと思うほど沢山の赤字や赤線に、上司の部下に対する愛情を見る思いがしてとても感動したものでした。

 

今年度竣工した案件でも、工事と営業の責任者は、時間を厭わずお客様と徹底して打合せをしてくれました。

私が「そこまでやるか」と思うほど、延々と打合せを続けているのです。

そのお客様のご要望にお応えしようという凄まじいとも言える執念に、傍で見ている私の方が呆れてしまうほどでした。

 

これらの心の籠った部下対応や顧客対応は、結果を生まないはずがありません。

通り一遍の対応では、相手に感動を生むということはありませんが、相手の予想を上回る対応は、必ず人の心を動かすもののです。

 

幕末に活躍した吉田松陰は次のように言っています。

 

至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり

(解説)

誠心誠意を尽くしても、人の心を動かすことができないということは有りえないことだ。

誠を尽くせば誰もが必ず共感してくれる。

 

松陰の活躍はここでは詳しく述べませんが、この人なくして明治維新はなく、したがって現在の日本もなかったとさえいえる人物です。

松陰が開いた松下村塾で学んだ維新の志士たちに、新しい日本を創る志を持たせたのも、松陰が安政の大獄で刑死することになったのも、至誠を貫いた故のことでした。

しかし、この至誠が多くの人を感化し、時代を動かしていったのでした。

私たちが吉田松陰のようになるのは無理だとしても、誠心誠意を仕事に込めることで、お客様の心を動かし、その評価が社会に広がっていくことは可能です。

 

建設業はたいへん差別化の難しい業界です。

大手ゼネコンであろうと、町屋の工務店であろうと、規模の差こそあれ、やっている原理はほぼ同じです。

その中で差別化できるものがあるとすれば、それは誠を尽くすことであろうと思います。

社員の一人ひとりが誠心誠意仕事をすると共に、企業風土が高まることによって、お客様の評価を高め、ブランド力が高まり、ひては安定した成長企業になっていくことが可能となるのです。

 

その根本は誠を尽くすことです。

最近その手応えを感じ取れるようになってきました。

今後ますますその力を高めることで、万博後にやってくるであろう不況をも乗り切っていけると信じています。

同時に、そのことが私たちの自信となり誇りとなって、最終的な目的である私たちの人間力を高めていくことになるのです。