社長ブログ
育つこと、育てられること
現代の青年は夢がないとか、生きがいを見失っているとか言うけれども、それは青年自身の問題ばかりでなく、社会の問題、おとなの問題とも言えるのではないかだろうか。
つまり、おとなというか、その国、その政治が青年たちに生きがいを持たすようにしていない。
夢を与えていない。
使命感を与えていないのである。
同じ仕事をするにしても、そのことの意義とか価値というものをはっきり自覚させられ、教えられていないから、迷ったり不平を持って、やがては現代の社会をのろうようにもなるわけであろう。
そこには今日の日本の根本の問題があるのではないかと思う。
(松下幸之助「一日一話 七月十日」)
松下幸之助のこの文章を載せた著書「若い君たちに伝えたい」は、昭和五十年に刊行されています。
この頃の日本はDGP世界第2位の経済大国であり、高度経済成長は終わっていたものの、まだまだ経済にも勢いがありました。
その中で、松下幸之助は日本の根本に将来的な不安を感じていたのです。
そして、その不安が見事に的中してしまったことは、現在の日本の凋落ぶりを見れば明らかではないでしょうか。
これまでの日本には、意味や価値を伝えるという教育が不足していたのではないかと強く感じます。
教育とは教え育てると書きますが、「教える」ことよりも「育てる」ことがはるかに重要です。
「育てる」とは、仕事の場で言えば、仕事の意味や価値を、言葉によって、あるいは、取り組む姿で部下に伝えていくことです。
意味や価値が自覚できれば、教えるべきことは部下本人が自ら主体的に自律的に学び始めるのです。
人間が、他の動物と違うのは、ものごとに意味や価値を求めるところにあります。
意味や価値を求めないのであれば、食べることさえできればいいのですから、犬や猫と何ら変わるところはないとさえ言えるのです。
本当の人間になるためには、意味や価値が必要であるし、それが自覚できて初めて人間は主体的自律的に生き始めることが出来るのです。
しかし、仕事の意味や価値を、伝える側(会社や上司)が深く自覚していなければ、若い人たちに伝わることはありません。
自分の仕事に意味や価値を感じられない人が、それを自分以外の人に伝えられるはずはないのです。
また、仮に意味や価値が自覚されていても、曖昧な自覚であれば、部下には伝わらないし、何より自分自身をその自覚によって律することはできません。
この自覚を深めるためには、人にその自覚したものを語ろうとすることが大切です。
語ろうとするから語れるようになるのです。
この努力なしには、語るべき言葉を獲得することはできません。
読書によって曖昧な自覚を明確にする。
あるいは対話によって自分の感じていることを明確な言葉にする。
そんな中で、自分の中で自覚が明確になり、そして人にも語れるようになるのです。
今年から未来共創会議や1on1面談を始めたのも、意味や価値を明確に自覚して、夢や生きがいを皆で持てるようにしたいからです。
遠回りに思えるかもしれませんが、それこそが当社の未来に向けた礎になっていくのです。
意味や価値を持たない人にとっては、仕事は生きるための手段にすぎません。
しかし、意味や価値を持ちえた時、それが自分の人生の意味や価値となり、生きる目的となって、明るくたくましく仕事に取り組めるようになるものと信じています。