社長ブログ
苦労することの意味
「苦労人」という言葉があるが、これは、実践によって、世の中の酸いも甘いもよく嚙みわけた人のことをいうのである。
かような人は、理路整然とものをいうことが出来ないにしても、その断片語がよく肯綮(こうけい)にあたり、事に処して、まことにあざやかな手際を見せるものである。
・・・・丁度射撃の名人が、身も、心も、鉄砲も、的も、ただ一つに溶かしこむように、いわゆる苦労人は、周囲の人々を一つの気分に浸りこませて、まかり間違えば、損得の問題や、理屈の言いあいで、掴みあいにもなりかねないところを、極めてなごやかに取りさばいて行くものである。
(下村湖人「青年の思索のために『苦労人』」)
下村湖人がここで言ってるような人は、エリートと呼ばれる人よりも、職人の親方の中にこそ見かけるように思います。
理論や理屈は理解のために、たいへん大事なことではありますが、それによって人が心を動かされ、モチベートされることはありません。
人の心を動かすためには、その人の立場や気持ちが分かることの方が大切になるのだと思います。
だからこそ立派なリーダーと言われる人には、苦労人が多いのです。
苦労というのは、自分の思い通りに事が運ばないためにする経験です。
人は誰しも、自分の都合の良いように事が運ぶことを望むものですが、そんな都合の良いことは、めったにあることではありません。
むしろ私たちが出会うのは、その正反対のことが多く、正面からその困難に向き合えば向き合うほど、自分の都合が通らないことを思い知らされることになります。
そこで逃げ出せばそれだけのことですが、責任感のある人、使命感を持つ人は、そこで自己中心性(我)を手放すことでしか、その苦労を乗り越える道がないことを覚るのです。
世間は自分の思ったようにならぬこと、自分を中心にして世界は回っていないことを、徹頭徹尾思い知らされることによって、はじめて自己中心性を手放し、相手の立場や気持ちの察しがつくようになる。
そんな人でなければ、様々な人から協力を引き出し、困難や問題を解決することは出来ないのです。
自分の人生を大切にする人は、人より得をする人生を歩みたいとは思わぬものです。
それよりも人のお役に立つ人生を送りたいと望むものです。
人生を大切にするとは、自分の存在を意義有らしめるということであり、その意義とは人のお役に立つことによってしか得られないものなのです。
難しい仕事に率先して取り組もうとするような人であっても、苦労のさ中では、逃げ出したいと思うこともあるでしょう。
増して、思わぬ困難に出遭ったときには、「どうして自分が」と思わない方が無理かもしれません。
しかし、そんな時こそ、この苦労が自己中心性を手放す契機となって、自分を磨いてくれるのだと言い聞かせることが必要なのです。
実際に後になって振り返れば、その時の苦労が自分をつくってくれたと思えるものなのです。
苦労は何の得にもなりません。
しかし、徳となってその人の身につくものです。
自ら苦労を求めるとまではいかなくても、出遭った苦労から逃げ出さず、正面から取り組んでいきたいものです。