社長ブログ
微力ではあるが無力ではない
以前若い人が集まっている会合で、選挙に行った人に手を挙げてもらうと、全体の二、三割しかいなかったことがあります。
「どうして行かないのか」と尋ねたところ、「選挙に行っても何も変わらない」というのです。
因みに過去の衆議院選挙の投票率の推移を調べてみると、私が初めて投票した昭和五一年の選挙では、全体で七四パーセント、二十歳代では六十三パーセントだったのに対し、直近の令和三年の選挙では、それぞれ五六パーセント、三七パーセントまで下がっています。
全体では八割、二〇歳代では何と六割になっているのです。
この現象をどう見ればいいのか、専門家ではない私には分かりませんが、今の日本人、特に若い人を中心に、「全体は個の集合である」ことへの認識が低下していることは確かなようです。
これでは日本の民主主義の将来が危ぶまれるのは当然ことだろうと思います。
「選挙に行っても何も変わらない」という気持ちは分からなくもありません。
しかし、日本の民主主義が選挙制度を基盤としている以上、「選挙に行かなければ何も変わらない」という意識が、民主主義を守るためには必要なのです。
「微力ではあるが無力ではない」ことの自覚が、民主主義の前提なのです。
これは仕事でも同じことが言えます。
当社の「心と行動の指針9」では、「凡事を徹底し微差僅差を追及しよう」と書いています。
建設業は価格以外の差別化が難しく、そのために業界の売上高利益率は、スーパーゼネコンであっても数パーセント程度で、他の製造業に比してかなり低くなっています。
確かにビジネスモデルや技術開発などで差別化を図るのは、大変難しい。
しかし、絶対に無理かというとそうではありません。
当たり前のことを徹底して行い、微差・僅差を追及することで、差別化は可能だと考えています。
一見成果につながらない無駄にも見えるような些細な工夫を、忍耐強く積み上げていくこと。
それがいつかは絶対的な差になる日が来るはずだと思い、「心と行動の指針9」としたのです。
我々は些細な工夫を積み重ねることに、ついつい耐えられなくなってしまいます。
そして、手っ取り早く一気にできる方法を見つけようとします。
しかし、それは手を抜く方法を探しているに過ぎないことがほとんどです。
富士山も小さな砂粒が無数に積み重なって出来ています。
太平洋も水の分子が無量に集まって大海となっているのです。
仮に画期的な方法があったにしても、それは手抜きをしたいという願望からではなく、工夫の積み重ねによって編み出されるものであろうと思います。
ゼロはいくら足してもゼロですが、何万分の一であろうとそれを無数に足し算する覚悟があれば、富士山や太平洋のような大きな数字になる可能性があるのです。
ことほど左様に、微力と無力の間には無限の乖離があります。
「微力ではあるが無力ではない」ことを自覚して仕事に励んでいきたいと思います。