社長ブログ
使命について
ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。
すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるのかが問題ではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。
(ヴィクトール・フランクル「夜と霧」)
フランクルはユダヤ系オーストリア人で、第二次大戦中にはナチスによってアウシュビッツ強制収容所に収容されていました。
強制収容所はユダヤ人を絶滅するために作られたものです。
ユダヤ人たちがアウシュビッツに到着すると、重労働に堪えられないと判断された九割以上の人々は、その場でガス室に送られてしまいます。
そこを潜り抜けた残りの人たちも激しい労働で疲弊すると、やはりガス室送りになるのです。
精神科医で心理学者でもあったフランクルは、生きる望みがほとんど持ちえない収容所を生き延びるために、何が必要であったかを、冒頭の文章のように書いているのです。
すなわち、自分が自分の外界(人生)に対して何を期待するのかではなく、外界が自分に何を期待しているのかと考えなければ、アウシュビッツでは生き延びることはできなかったと言っているのです。
アウシュビッツはユダヤ人を絶滅するために作られたのですから、その中で外界に期待できることなどある筈もありません。
外界に期待している限りは、絶望し気力を失ってガス室に送られる以外に道はなかったのです。
それ故に、外界が私に何を期待しているかという観点に立つことだけが、唯一の生き延びる方法だったのです。
それでは、外界が自分に期待していることとは何なのでしょうか。
それは、自分の役割・責任であり、例えばフランクルにとっては家庭の主としての責任であり、学者としてやり残した研究を完成させる使命だったのです。
アウシュビッツで証明された人間の生命力の強さの根源とは、人に何かをしてもらうことではなく、周りの人達に対して果たさねばならぬ使命であったのです。
この使命は自分の外に目を向けなければ見えては来ません。
自分の内に目を向けていると、見えてくるものは外界に対する期待ばかりになってしまうのです。
それでは、使命はどうすれば見えてくるのか。
それは、今自分がどうしてここで生きておれるのかに思いを巡らせ、無量のお蔭を蒙っていることを自覚することに始まります。
マーカーペンを例にとって、私たちの生活が世界中の人々の仕事によって支えられているとお話したことがあると思いますが、今の世の中はサプライチェ―ンが無数に張り巡らされて、大きく複雑な網のようになって私たちの生活を支えてくれているのです。
また、祖先を二十代遡っていくと先祖は二百万人になりますが、その二百万人の人たちが今よりも遥かに生きづらい時代に命をつないでくれて自分があるのです。
子育てを経験している人ならば、二百万の人たちが自分たち以上の子育ての苦労をして命をつないでくれたことが、どれほど尊く凄いことか実感できるはずです。
このように今の自分がそれこそ無量のお蔭を蒙っていることの一部でも実感できれば、自分の人生だからと言って好き勝手に生きて良いとは思えなくなるはずです。
無量の恩に対して、何かお返しをするのが自分の使命だと気づけるはずだと思うのです。
また、自分は自分の力で生きており何をやっても自由だと思っている人ほど、その自由を持て余している人が多いものです。
譬え我欲からやることを見つけたとしても、少しの困難があるとそんな我欲などは吹き飛んで、忽ちにして為すべきことを見失ってしまうのです。
昨今の日本はそんな人が増えているような気がしてなりません。
そのような人が増えれば増えるほど、その集団の活力は失われていきます。
現在の日本の凋落は、そこに原因があるように思えてならないのです。
自分を支えてくれているものに気付けば気付くほど、それに応えなければならないという思いは強くなるはずです。
歴史上の偉大な人物の活力の源泉が感恩に対する報恩あることを見ても、人はお蔭さまを知ることから自分のやるべきこと、やりたいことを見つけ出すのです。
人はお蔭さまに気付けるからこそ、自分の責任・使命を自覚できる。
そして活力を高めることができるのです。
そして、お蔭様に気付くことは、自尊感と自己肯定感を高めることになるのです。
例えば親が自分のために多くの自己犠牲を払ってくれたことに気付いた時、同時に親にとって自分はかけがえの無い存在であったことに気付くことでもあります。
それは即ち自分の存在理由であり存在の意味なのです。
当社の理念が「『ありがとう』の溢れる会社をつくろう」であるのは、ここにその根拠があるのです。
最後に、この一年皆さんがそれぞれの立場で仕事に邁進していただいたことに感謝申し上げます。
お蔭さまで、無事に新年を迎えることができそうです。
正月はゆっくり心身を休めて来年に向けて英気を養ってください。
ありがとうございました。