社長ブログ

使命について

使命について

尊敬する人がなくなった時、その人の進歩は止まる。

尊敬する対象が、年と共にはっきりして来るようでなければ、真の大成は期し難い。

(森信三)

 

先日の新年会の挨拶でお話したように、日本の経済の凋落ぶりには目を覆いたくなるものがあります。

GDPはドイツに抜かれて四位となり、一人当たりGDPでは三十七位で韓国を下回っています。

さらに2024年の国際競争力ランキングでは三十八位となり過去最低となりました。

一人当たりGDPも、国際競争力も一九九〇年代には常に最上位にあっただけに、日本経済の低迷ぶりは顕著です。

経済だけが人の幸福ではないという考え方もありますが、日本人のエネルギーが低下していることだけは確かであろうと思います。

 

戦後の復興期には、松下電器の松下幸之助、ホンダの本田宗一郎、ソニーの井深大などの錚々たる経営者が、日本の経営者の憧れとなり目標となって、日本経済を盛り上げてきたように思います。

現に前会長が亡くなった後、会長の本棚を整理していると、松下幸之助の講演テープを何十巻も見つけて驚いたものでした。

そう言えば、以前には訪問させていただいた会社の社長室の本棚に、松下幸之助の本を見つけるのはよくあることでした。

会長と同じく日本の多くの中小企業経営者が松下幸之助に憧れ、目標にして研鑽していたのだろうと思います。

このように優れた経営者は、その人自身の会社を成長させるという直接の影響力を発揮しただけでなく、日本全体の経営者の模範となって、間接的にも日本全体に影響を与えたのです。

そうした中で日本の高度経済成長は、成し遂げられていったように思えるのです。

 

また、当社の朝礼でよくその著書を読んできた京セラの稲盛和夫さんが数年前に亡くなられ、また同じくイエローハットの鍵山秀三郎さんもつい数日前に亡くなられました。

心の琴線に触れてくる経営者が次々と逝去されるのは本当に残念でなりませんし、直接謦咳に接することができなくなったのは寂しい限りです。

そして、これらの経営者の後を継いで、その人の持つ哲学や思想で多くの企業経営者を感化できる経営者が極めて少なくなったことは憂うべきことだと思うのです。

 

先日の新年会では、OECDが中学生に対して行った「親や教師を尊敬していますか」という調査で、「はい」の回答率が百八十六か国中最下位だったことも話させていただきました。

人が成長するためには、本で出合う偉人も大事なのですが、直接出会える生身の人物は更に大切なのです。

憧れ、そして目標に出来る人間が傍にいるだけで、その人の成長度は大きく変わってきます。

「あの人のようになりたい」「あんな事が出来るようになりたい」という思いが、その人のエネルギーを引き出すのです。

それだけにOECDの調査結果はとても残念なものでした。

 

人の教育について、私は「教」よりも「育」がはるかに大切だと言ってきました。

育てることができれば、教えるべきことは本人が自ら学び始めるからです。

そして、「育」の中で最も効果があるのは、生身の人間から感化を受けることです。

と言うよりも、「育」の本当の内容は、人物による感化だと言っても言い過ぎにはなりません。

冒頭の森信三先生の言葉は、直接生身の人物に触れるにしろ、書籍を通じて間接に触れるにしろ、人物からの感化によってしか成長は実現しないと言っておられるのです。

だからこそ、親や教師が尊敬できることは、その人の成長の上でとても大切なことなのです。

そして、会社では上司や先輩が部下、後輩にとって尊敬できるということが、彼らの成長を決めると言っても過言ではありません。

と同時に、人を成長させるということは、次の世の中を良くすることでもありますから、世直しの最たるものとも言えるのです。

 

しかし、尊敬される人物になるのは簡単なことではありません。

かく言う私にも大して自信がある訳ではありません。

だが、これだけは言えるのは、尊敬される人物になるために努力しなければならないということです。

そして、自らにも尊敬する人物がいて、その人に少しでも近づくために日々努力していなければならないということです。

自ら成長しようとしていない人が、相手が子供にしろ生徒にしろ部下にしろ、人を感化せしめて成長させられるわけがないのです。

本当に次の世代を育てたいのであれば、自ら成長しようとしている姿が人をして感化せしめるのだということを忘れず、日々研鑽に励まねばならないのです。