社長ブログ

困難と理不尽の効用

困難と理不尽の効用

社会福祉法人旭長寿の森が来年四月で開設二十周年を迎えます。

私が社会福祉法人という本業の建設業とは、まったく何の関連性もない異業種に進出することになったのは、幾つかのキッカケがありました。

 

一つには、建設業の将来に対する危機感でした。

当時はまだ介護保険制度もまだ始まっておらず、高齢化社会の到来をマスコミが取り上げるようになったばかりでしたが、この高齢化にこそ当社が生き延びるフィールドがあると考えたのです。

何とかこの分野のノウハウを吸収したいと考えて、老人福祉の市民団体に属して勉強し、ストックホルムに老人施設を見学に行ったこともありました。

二つ目には、私の祖母が亡くなる前の数年間認知症になり、家庭が崩壊の危機に面したことでした。

認知症老人を実際に家庭で介護することによって、介護の社会的ニーズの強さを身をもって体験したのです。

 

しかし、初めはまるで方角の違う社会福祉事業を自分でやるつもりなどまったくありませんでしたし、出来るとも思いませんでした。

それ故、地主さんに福祉施設の営業をかけたのですが、当時はまだ福祉に対する関心は低く、世間では高齢者施設は迷惑施設という程度の認識でしたから、誰も進出しようという人はいませんでした。

 

ところが介護保険制度が実施されるのを新聞で見て、会長が自分のところでやろうと言い出したのです。

当時社長になったばかりの私は大反対しました。

本業の建設業は、バブル崩壊の煽りを受けて、どんどん仕事が減っていきます。

それまで景気対策として維持されていた公共投資も、財政危機から大幅に削減されていきました。

同業者のリストラ、倒産が相次ぐ中で、社長をやるだけも大変なのに、新規事業に取り組む余裕などどこにもなかったのです。

しかし、生前の会長をご存知の人は分かるでしょうが、会長は言い出したら聞きません。

理不尽にも無理やり前に進むしかなかったのです。

 

社会福祉法人をつくる。

という方針は決まったものの、どうすれば設立できるのか皆目見当がつきません。

法律も申請方法も分からない。

特別養護老人ホームはどのような設計をすればいいのかも分からない。

介護のスタッフの集め方も分からない。

すべてをまったく手探りで始めたのですが、申請、設計、スタッフ集めなど、すべてを並行して施設オープンの一点に間に合うように進めなければなりません。

何か一つ手落ちがあれば、すべてが狂ってしまいますから、その緊張感は大変なものでした。

 

ここには書き切れないほどの様々な曲折を経て、二〇〇〇年三月にめでたくオープンに漕ぎつけることができたのですが、それからも、なお曲折は続きます。

認知症のお年寄りは自宅から老人ホームへと生活環境が変わると、一時認知症の症状が進行します。特に夜間になると不安が高じて、ナースコールを鳴らし続けるのです。

それに対応するのは、専門学校を出たばかりの若い新人たちです。

夜間の勤務ではほとんど仮眠もとれず、お年寄りが慣れるまでの数か月の間に、彼らのストレスと疲れは極致に達します。

 

また、介護保険制度は始まったばかりで、それに対応する経理システムは、屡々不具合を起こし経理状況がまったく把握できません。

銀行残高はどんどん減っていくのに、儲かっているのかいないのかが分からないのです。

職員からはあれが足りない、これを買ってくれと沢山の要請がありますが、銀行残高を見ていると、その要請に安易に応えるわけにいきません。

「明日は誰も出勤してこないのではないか」と思うような日もありました。

全体がある程度落ち着くまでに、一年はかかりました。

 

この準備からの立ち上げに至る数年間は、私にとっても忘れられない年月になりました。

オープンの日取りが決まっているという時間的制約の中で、自分にとっては、全く未知の仕事をやり遂げなければならないというのは、たいへん苦しいことです。

しかし、反面これほど自分の能力を引き出してくれる面白いことはないのです。

 

例えば人の問題。

二十年前はまだ介護保険制度もなく、介護を経験した人材そのものが少なかったのです。

その人たちをどう集めるのか。

まずは中心になってくれる人が必要です。

その人は介護の知識はもちろん、人物としても信頼できなければなりません。

その人によって、作った組織の色合いが決まっていくからです。

介護業界に人脈のない私にすぐに思い当たる人などいる訳がありません。

 

私の過去の知り合いを何度も棚卸して、適当な人がいないか、もしくは適当な人を紹介してくれる人がいないかを探しました。

そして、いろいろ当たった挙句、その頃介護施設をオープンした病院の事務長さんの顔を思い出したのです。

藁にも縋る思いで、その人を訪ね事情を話し、どのような施設づくりをしたいのか説きました。

何度かお話した末にやっと相手の気持ちを動かすことができました。

相手の気持ちを動かすにはこちらの気持が高まっていなければなりません。

相手を口説くことが、こちらの思いを高める過程でもありました。

その後、この方が主だったスタッフを集めてくれ、準備の体制が整っていきました。

この方はご病気で開設時には戦列を離れられましたが、主要なスタッフは二十年たった今でも、旭長寿の森の理事として活躍してくれています。

 

こうして人の問題は解決したのですが、他の面でも同じような経過を経ていったのです。

この数年間、毎日塀の上を歩いているような緊張を強いられました。

そして、気持ちが弛緩することがあると、必ずそれを見透かされたように、問題が起こったものでした。

それはとても苦しいことでしたが、その反面、だからこそ自分の能力を最大限に発揮する機会を与えられたとも言えるのです。

 

このようにして、会長から社会福祉法人の開設を命じられた時には、到底自分には出来ないと思っていたことが現実になりました。

オープンして暫くは、特別養護老人ホームあいあいの前を通るたびに、本当に私が作ったのだろうかと頬をつねったものでした。

この社長就任前後のこの経験は私にとっては大きな自信にもなりました。

また、緊張を持続する習慣は、その後の私をずいぶん助けてくれたように思います。

今では、無理を言ってくれた会長に心から感謝をしています。

 

進んで困難や理不尽に飛び込むということは、なかなか出来ることではありません。

しかし、困難や理不尽こそが、自分で決めた限界の殻を破って人を育てるのです。

マイナスの体験がマイナスだけで終わることはありません。

むしろそのマイナスがプラスを生むのです。