社長ブログ
山口格郎先生の思い出
この夏、久しぶりに上高地に行ってきました。
天候にも恵まれ、若い頃によく登った穂高を眺めてきました。
私が最後に上高地に行ったのは、二十年前、高校の恩師山口格郎先生と共に、穂高の眺望が秀逸な蝶が岳に登った時でした。
一緒に私の子供三人も連れていき、五月の残雪を踏んで登ったのですが、あいにくの雨にたたられ散々な目にあったのをよく覚えています。
山口先生は、無名の英語教師ではありましたが、七回忌の「格さんを語る会」には、百名を超える教え子たちが集まるほどに、多くの教え子に影響を与えた先生でした。
先生は心から山を愛した人でした。
私が属していたワンダーフォーゲル部の顧問でもあり、一緒によく山に登ったものでした。
高校を卒業してからも、月に一度は先生のお宅にお邪魔して、イギリスの作家D・Hロレンスの「息子と恋人」を原語で教えていただいたのでした。
それは大学を卒業するまで四年間続きました。
大して英語ができるわけでもなく、ましてほとんど予習もせずに輪読会に参加していた私は劣等生ではありましたが、まともに文学を学んだといえば、この頃が一番だったのではないかと思います。
あれから四十年以上の歳月が流れ、英語力もすっかり衰えて、当時の書き込みだらけの「息子と恋人」のページを開いても、今ではほとんど読めなくなっています。
しかし、あの頃先生と交わした人生談義は、未だに私の中に息づき、その時養われた情緒は今もって私を動かしているように思うのです。
若き日の先生は陸軍幼年学校に入り、本土決戦に備えて軍事教練に明け暮れる毎日を過ごしていたそうですが、そんな頃でも、幼年学校ではフランス語の授業がありました。
その授業で、フランス語の教授が、生徒たちに「君たちは何のためにフランス語を学ぶのか」と聞いたそうです。
生徒たちは「お国のためです」「敵をより知るためです」などと苦し紛れに答えたのですが、それに対して、教授は
「諸君、勉強は何かのためにしているのではない。少しでもましな人間になるためだ」
と決然として言われたのだそうです。
戦争に敗れた後、教授が東京におられると聞いた先生は、そこを訪ねていかれたのですが、焼野が原のただ中にトタンをかぶせただけのボロ屋で、教授は一心にフランス文学を研究されていたそうです。
そして先生に「山口君、日本はこれからだよ。これからが君らの出番だよ」と言われたのだそうです。
英文学を一緒に読みながら、そんな体験を先生は私に語って聞かせてくれたのでした。
まだ二十歳前後だった私にすべてが理解できたわけではなかったのですが、「勉強は何かのためにしているのではない」という言葉が、勉強は功利的な目的のためにするのではない、ということを意味していることは分かりました。
もっと大きな目的、もっと豊かな目的を目指して生きるために勉強をするのだと、先生は私たちに言いたかったのだろうと思います。
今、私が当社の若い人たちと一緒に、直接仕事に関係しない「修身教授録」を読んでいるのは、恐らく山口先生のこの言葉が私の心に未だに残っているからであろうとも思います。
もっと大きな目的、もっと豊かな目的のために、仕事をしてくれるようになってもらいたいからなのです。
上高地の片隅にある詩碑に、穂高の岩壁に逝ったクライマーたちへの鎮魂歌が刻まれています。
二十年前の蝶が岳登山の後、山口先生はその詩碑に刻まれた詩を書き送ってくれました。
流転の世界
必滅の人生に
成敗はともあれ
人が傾けて悔ゆることなき
愛と意欲の美しさ
尾崎喜八
人は食わねば生きてはいけない。
しかし、食うためだけに必滅の人生を送るとしたら、何と寂しいことであろう。
山口先生との最後の山行を思い出しながら、そんな感慨を抱いて帰路に就いたことでした。