社長ブログ

父の故郷

父の故郷

先の休日、コロナの自粛でどこにも出かけられず、本箱の整理をしていると、ずいぶん以前に亡くなった父方の伯父が書いた本が出てきました。

従兄から何かの折にもらったものを、本棚の片隅に仕舞っていたのを見つけたのです。

その本には、伯父が祖先のことや両親(私の祖父母)のこと、兄弟のこと、昔の田舎の生活・風俗などが書かれていました。

目を通す位のつもりで開いたのですが、ついつい引き込まれるようにして最後まで読んでしまいました。

 

私は子供の頃、夏休みになると、伯父の家(父の実家)に行って長い夏を過ごしたものでした。

今から思えば、両親が共働きで忙しく、長期の休みには世話の焼ける子供は家にいない方が好都合だったのかもしれません。

でも、私は田舎の生活が大好きで、夏休みが来るのも待ち遠しく、毎年喜んで行ったものでした。

伯父の家は、徳島の山奥で、当時は、国鉄徳島駅前からバスに乗って一時間半はかかりました。

そして、バス停から標高差にして一〇〇m以上の急な山道を登ったところに家はありました。

前夜に銅鑼と「蛍の光」に送られて関西汽船で築港を出発して、辿り着くのは翌日の午後でした。

 

家に着くと、祖母が、喜んで迎えてくれたものでした。

その第一声がいつも決まって「大きゅうなって!」だったことを、半世紀以上たった今でも憶えています。

今の私が孫の成長に対してそうであるように、子供の成長の早さに祖母は驚き、そして喜んでくれていたのでしょう。

田舎では宿題には目もくれず、自然の中を駆け回って遊んだものです。

トイレは外。

風呂は五右衛門風呂。

竈もあって、火吹き竹で火を起こしたのを覚えています。

昔の農家の生活そのものでした。

 

この家に最後に泊ったのは、祖母の葬儀の時。

土葬でした。

亡骸を樽のような棺桶に入れて、裏山にある墓地までの急な斜面を皆で登って行ったのでした。

身近な人の死を経験したのは、その時が初めてだっただけに、とてもショックを受けたことを憶えています。

 

八十過ぎまでこの家を守った伯母は、「義母は苦労するためにこの世に生まれて来たような人だった」と言っていました。

嫁から見ても、それほど働いていたのです。

祖母はその地域ではまだ珍しかった養蚕に取り組んで、見事に成功させました。

それも百姓仕事はそれまで通りにした上の話ですから、どれほど一所懸命に働いていたことでしょうか。

伯父は本の中で、祖母が懸命に働いてくれたお陰で、子供たちが学校に行けたと書いていました。

その地域で小学校卒業後、上の学校に行けた子供は、数えるほどであったようです。

私の父も工業学校に学んだだけですが、それでも当時は珍しかったのです。

父は小学校から工業学校まで一番で通したと言っていましたが、伯父の本にもその通り書いてありましたから、まんざら出鱈目ではなかったようです。

 

祖母は

「子を育てるためにこの世に生まれてきた。

子の喜びは親の喜びであり、子の悲しみは親の悲しみであり、子と親は一体だ」

と考えていたと伯父は書いています。

 

そして、祖母の口癖は

「人間はこの世に苦しむために生まれてきておるんじゃ。

死ななんだら楽できんのじゃ」

だったそうです。

 

斜面ばかりの山村で、百姓として生きていく苦労は、すっかり腰の曲がった祖母を見ていれば、私にも察しはつきます。

祖母も少しは楽もしたいし、贅沢もしたかったに違いないと思います。

しかし、現金収入の道もなく貧しい生活の中で、子供の将来に備えて貯蓄をするためには、そんな自分の欲望一切を絶たねばならない。

そんな決心覚悟が「苦しむために生まれてきた」という口癖になっていたのだと思います。

その自分の使命に対する肚の据わり方には本当に驚くばかりですが、自分の生き甲斐の一点を見つめて、自分のことは差し置いて、子供のために、他を顧みることなく一心不乱に働いたのでしょう。

 

私は父から

「わしは家に金がなかったから、親からしてもらったことは余りないが、それでも本当に感謝している。

お前たちは恵まれすぎているから親のありがたみが分からん」

と痛いことを言われたことがあります。

父は母親が子供のために懸命に働き、すべてを切り詰めて暮らし、そのお陰で工業学校にも行けたことを感謝していたのでしょう。

古くから当社に勤めてくれている人は知っているように、父が若い頃に死に物狂いで働いていたのは、この母あってのことだったと思うのです。

 

私は自分の子供たちも、今は誰も住まなくなった父の実家へ何度か連れて行きました。

長男の結婚後には、嫁も連れて行きました。

もう少し大きくなれば、孫も連れていきたいと思います。

それは自分が独りで育ったのではないこと。

人から人への大きなつながりの流れの中で、生かされている存在だということを、少しでも分かって欲しいからです。

そうであれば、謙虚さを失うこともなく、孤独になることもないはずです。

人は決して望むようには生きられない。

むしろ不条理や理不尽な現実に泣くことの方が多いかもしれない。

にもかかわらず、今の自分を受け容れ、仕合せになるためには、自分を生かしてくれる大きな流れに感謝できるようになるしかないと思うからです。

 

伯父の本は、故郷と祖先、親族に対する愛情に満ちたものでした。

その愛情は祖母から発し、伯父に伝わり、父を通して私に届いている。

私もまたそれを周りの人たちに伝えていかねばならない。

そんなことを想った自粛の日のひと時でした。