社長ブログ
お蔭さまに気付く
どんなに遠くへ行こうとも、どんなに偉い人になろうとも、これからの長い人生には、嵐の日もあれば、つらい山坂もあると思わねばなりません。
そんな時、弱気になってはだめ。
じっと立ちどまって、日の当たり場所、自分の行くべき路をじっと見定めて迷わず歩き続けること。
人生はマラソンです。
自分の力で頑張るしかないのです。
その時は親を思い、親のしてくれたこと思いだすのです。
(森長コトミの手紙)
先日書類を整理していると、祖母が孫宛に出した手紙が出てきました。
その一部が先に掲げたものです。
祖母は徳島の山奥で生まれ、祖父と結婚した後、生後二か月の私の母を連れて、昭和六年に大阪に出てきました。
二畳一間の部屋を月四円で借りて、一家三人の暮らしが始まったのです。
畑仕事しか経験のない祖父母が、世界恐慌のただ中にある大阪で、生きていくのは大変なことであったでしょう。
その後も、祖父の思いがけぬ出征、戦災による財産の消失、戦後の混乱の中での森長工務店の創業と、次から次に困難に出遭うことになりました。
そんな中で、祖母は「親を思い、親のしてくれたことを思い出し」、その苦難を乗り越えていったのでしょう。
そして、その経験を孫たちに伝えようと思い、この手紙を書いたのではないかと想像します。
人は困難に出遭い心が折れそうになった時、眼が自分の内にしか向かなくなります。
そして、そこに見えてくるのは自己否定と絶望であり、自分に対する無価値感です。
しかし、そんな時でも、大切な親を思い出し、その親にどれだけ大事に育ててもらったかに思い至る時、自分に対する無価値感から救われるのではないでしょうか。
祖母は孫たちがこれから出遭うであろう苦難を想い、その困難を乗り越える術を伝えたかったのではないかと思うのです。
私は祖母が書いたものを見たことがありませんし、学歴は小学校卒業ですから文章が書ける人だとも思っていませんでした。
それだけに孫にあてたこの手紙に、祖母がどれだけ精魂込めたかを思い、目頭が熱くなったのです。
私は人が本当に強く生きるためには、「おかげさま」が分かっていなければならないと思います。
自分が親をはじめ、多くの人のお蔭で生かされていることが分かってくると、自分の価値を疑う必要はなくなります。
そして、お蔭を蒙っているからこそ、それへのご恩返しをしなければならないことに気付き、自分の責任や使命を自覚することができるのです。
戦後の日本では、個人主義が声高に叫ばれてきましたが、自分勝手と混同されて、世の中をずいぶんおかしくしてしまったように思います。
何主義であろうと、人は支え支えられなければ生きていくことはできません。
自分一人では生きていけないのです。
それを自覚できた時、自分がどれほど大切な存在なのかに気付き、人は強くもなれ、責任使命に目覚めて自分の生き甲斐を定めることができるのです。
当社の「『ありがとう』の溢れる会社をつくろう」という理念は、そこに由来しているのです。
そして、「お蔭さま」の自覚は心のゆとりとなって、「お互いさま」に及んでいく。
そして、みんなが穏やかに生活できる集団がつくられていくのだと思います。